2014-02
書のたのしさ
書の始まりは、自分の中にあることばを表現し
相手に伝えたいという欲求です。
占いから生まれた漢字は、神への伝えたい想い。
和歌のやりとりから生まれた平仮名は、愛する人へ伝えたい想い。
ことばに想いを託し
その想いを表現し
伝える喜び。
共に過ごした時間を追憶する甘い想い
切ない哀しみに耐えきれず吐き出す想い
輝く思い出を心に刻む嬉しい想い
愛する人のために奇跡を願う
天候・豊作・健康・幸せを願う
歌や踊りと同じように
書とは 自分の想いを誰かに伝え
自分を理解して欲しいという
人として生まれたが故に与えられた欲求を
ことばと筆で表現する楽しさです。
【 気持ちのよい日本のことば 】『 心地よい 』
感覚的に気持ちよく 幸せな気分になり 笑顔になる様子。
そこにあるのはとろける感。
一緒にいて心地よいのは 心と心がとけあっているから。
その場にいて心地よいのは 場の空気と自分がとけあっているから。
笑い声が心地よいのは 耳の奥で声がとけていくから。
漢字を縦に書く謎
世界的に文字を縦に書く文化は稀有です。
人間の目が横に二つ並んでいることで、眼球の機能は
縦より横に動くことの方が生理的に合っているからです。
漢字を縦書きすることが中国で生まれたましたが
その必然性は謎のままです。
漢字は物理的に右手で書くようになっています。
上から下、左から右への筆順で形作られ
下への流れもありますが、右への流れもあります。
横書きもできる縦書きもできる漢字。
ある時、中国のどこかで縦書きが誕生したのです。
わたしは書を掲げることが生まれ
空間と書の関係ができたからと考えています。
書のチカラを感じた人が書を掲げるという行為を欲した。
書を掲げてることで、自分を律することができる
奮起させることができる、心落ち着かせることができる
励まし癒すことができる、そんな書のチカラを感じたからです。
掲げる方法として、掛け軸が生まれ
その掛け軸を書ける場所が必要になった。
明時代の建築には、掛け軸だけでなく
柱に文字が書かれ刻まれ、書と建築が一体化していきます。
そして横書きよりも縦書きが多くなっていった。
縦に書くことで書のチカラは
さらに大きなものになったのです。
毛筆の威力
筆で文字を書くのは苦手で…と思ってませんか。
ペンなどの筆記用具より、毛筆で文字を書くことは難しいです。
それは、書き慣れていないからです。
絵を描くときは筆で色を塗ったり、線を書くことと
色鉛筆で色を塗ったり、線を書くことを比べることはありません。
それぞれ違う絵になるからです。
文字は上手く書かなければという思いが強く、
また教育としてお習字を経験しているので
上手く書けない=苦手という意識になっています。
書き慣れると、筆はあなたの味方になります。
ぶらりとつり下げた紙にペンで文字を書くことは困難です。
でも筆でなら、なんとか文字を書くことはできます。
それはペンが手で書くという行為をストレートな力で紙に伝えるので
紙が宙ぶらりんでは受け止めることができません。
毛筆は手で書く行為を一本一本の毛は曖昧に、しかし全体としては
中心の芯を捉えてしっかりと伝える力が働くので、宙ぶらりんの紙にも
書くことができるのです。
このやわらかく腰があるという書き味が筆独特の力なのです。
現実に使っていることばを具体的な内容で、ストレートな筆記用具で書くのではなく
この独特な筆で書くこと、曖昧でありしっかりとした抽象的な力で書くことが
ことばに「書のチカラ」を与えるのです。
CDよりレコードが伝えるもの
オートマチック車よりマニュアル車が伝えるもの
機械で握られるより職人さんが握るお鮨が伝えるもの
曖昧でありしっかりしている力、抽象的な力だからこそ
そこに不思議なチカラが加わります。
動物の毛から作られる筆は
その毛の種類により腰が強くしっかりした力を伝えやすいもの
やわらかく曖昧に力を伝えやすいものなどいろいろあります。
筆の太さ、長さの種類を加えると無数の筆があります。
自分のお気に入りの筆をみつけてみませんか。
あなたのことばに書のチカラが加わります。
書は人なり
芸術とよばれるものは、書に限らず日常の人柄が作品に表現されます。
文学のようにことばを選び、絵画のように文字を書く芸術である書は
他の芸術以上に人格・人柄を表すものになります。
ことばを選び、文字を選ぶ時、その人の生きざまが表れます。
立派なことばを選んでも、その人に不釣り合いなことばは心の表情まで
書の表情で書くことはできません。
その時の自分に正直に素直なことばを選んでこそ、真の表現力が発揮できます。
そうして選ばれたことばを書の表情で書く時
さらにその人の生きざま、体格や性格、精神状態までもが表れます。
その人の筆意・筆勢は、その人の性格や個性、無意識な領域での性質と
その時その人が実感する感情、無意識な感情が表現されています。
無心で書くことの大切さがここにあります。
無心であるからこそ、その人の人格・人柄が表れるのです。
形や線の美しさにとらわれることなく、伸び伸び書かれた書にはその人が宿っています。
直筆を肉筆というように、書はその人の一部になるのです。
書は生きざま
書は文字を書く芸術です。
ことばを選ぶところから始まります。
日本のことばは それをどんな文字で書くのかも選びます。
他の言語にはない特徴で、同じことばでも三種類の文字を使い
漢字・ひらがな・カタカナ・入り交じりと何通りにも書くことができるからです。
ことばによっては、同じ意味でも複数の漢字表現が存在するものもあります。
その次に心の表情を書の表情で表現することになります。
きっと多くの方が想像する書がここから始まります。
ここまでの過程が、楽しくもあり、時に苦しみもがくものでもあります。
書は単に文字を書くものでなく、自分の意識の奥底で眠っているものを
ことばとして見出し、文字として書くものなのです。
積み重ねた鍛錬とそこに込める魂があるからこそ、書なのです。
書はいのちの動きが現れたもの。
書は生きざまのカタチ。
【 愛を感じる日本のことば 】『 笑顔 』
笑顔がみたいから
笑顔で応援するね
春陽 Shun-Yo
「書く」ことで育まれるもの
日本語は「書く」ことで成り立っています。
実際に手を使って「書く」ことのない一日があっても
頭の中で「書く」ことのない日はないからです。
同音異義語が多い日本語は、文脈の流れの中で無意識に
頭の中でことばを文字で書いています。
「かぜがふいています。」
「がぜをひいています。」
耳で「かぜ」ときいたことばを
頭の中では「風」「風邪」と文字を書いて理解しています。
名刺も日本では、役職や連絡先を確認する以上に
お名前をどんな文字で書くのか確認する役割が大きくなります。
日本語は文字を話しながら、文字を書いています。
漢字という表意文字とひらがな・カタカナという表音文字を組み合わせて
会話をしながら、頭の中で文字を書いています。
それだけ日本語は複雑で繊細な表現ができるのです。
日本語を「書く」ことで、日本の繊細な美意識が育まれてきたのです。
「かく」ことの大切さ
日本のことばを「はなす」 日本のことばを「かく」
生活の中で無意識に話し、書いています。
口から発する音や身体を使って手振り、身振りなどで表現することが「はなす」こと。
踊りは身体で意識を「はなす」 音楽は声楽で声を「はなす」
人間だけでなく、動物も誕生とともに「はなす」ことはできるのです。
「話す」「放す」「離す」ことで自分を表現できるのです。
骨や石の壁を引っ掻き、模様や形や絵や文字などで表現することが「かく」こと。
絵画は手で石に平面に「かく」 彫刻は手で石や木に立体的に「かく」
田畑を耕し、天候を占い、生活していく中で文明が「かく」ことを生み出しました。
「書く」「掻く」「描く」「欠く」ことで自分を表現することを欲しました。
「かく」ことで文化が育まれ、人を癒し、人を奮起させ
文明が進化し、人は成長してきました。
「かく」ことは人間が手に入れた表現方法です。
今まで無意識だった「書く」ことに意識を向けることは、
自分を表現すること、自分が成長していくことにつながります。
【 気持ちのよい日本のことば 】『 優美 』
「わびさび」「もののあわれ」のような美意識
贅とは真逆の簡素な様子や しみじみした哀愁に
「美」と「豊かさ」を感じる
それが “優美” という生き方
静けさの中にあらゆるものが 溶け込み共鳴し合う美しさ