2015-09

9.11 Prayers

Prayers
14年前のNY 、今日の日本、TVで映し出されるありさまが、信じられなかった。
祈ることしかできない現実。

消えてしまったこともそこに残されたことも、全ての人が祈っている。
遠くからみる者も祈り、心寄り添っていたい、いつまでも。

 

フレンチのおしながき

とてもお腹が減るお仕事をさせていただいた。

くいしんぼゆえ、お品書きのお仕事は料理を思い浮かべて楽しいのだけど食べたくなってしまう。

今回は食べたことのない「伊萬里牛」が気になって気になって
それも「松尾牧場直送」なんて…。

書いていて食べたくなって牛肉を食べてみる。
でも それは伊萬里牛じゃない。松尾牧場からの直送でもない。
くいしんぼは牛肉を食べても満たされる訳がない。

今日ついにそのお料理をいただくことができた。

ヨコハマグランドインターコンチネンタルH「アジュール」伊万里フェア
写真 19

2015-09-10 | Posted in No Comments » 

 

尺差しにこめられたもの

書くことにしか自信がなく、裏打ちから全て表装の専門家にお任せしている。
時々、自分でもやってみたいと手がウズウズしてしまい、挑戦しては不器用さを思い知る。

今日も表具師の技を間近で見せていただき、懲りもせずまたウズウズしてしまった。

刷毛を優しく扱う姿は、扇子を手に日本舞踊を舞うような美しい手さばき。
和紙をそっと引き上げ、パッと手放す仕草は魔法使いのようでもあり。

生麩糊(しょうふのり)、楮紙(こうぞがみ)、薄美濃紙(うすみのがみ)、美栖紙(みすがみ)、宇陀紙(うだがみ)。
材料の名前を耳にするだけで、奈良・平安時代にタイムスリップしたような気分になり奈良・平安時代から続く表装の歴史を感じる。

定木や尺差しを優雅に使いこなす姿に見とれていると
「この尺差しは60年前のもの」(写真左)
ボソッと尺差しを見せてくださった。
IMG_4328

あめ色に変化した美しい尺差しを手に取ると、手に馴染むしなやかさとびくともしない強靭さを感じる。
現代のものと比べると、薄さと目盛り線の細さの美しさが歴然。

厚みがあればある程、誤差がでる。限界まで薄くしているのに竹の強さは残っている。
目盛りの線は誤差とは呼べない程でも、限界まで細くして誤差を縮めている。
少しでも薄くして、少しでも目盛り線を細くして、使う人ができるだけ誤差のないように。

そこに職人の思いやりと心意気を感じて、惚れ惚れ見惚れていた。
想いがこもっているものには魂が宿り、魂こもったものは美しい。

2015-09-05 | Posted in 日本文化No Comments » 

 

Copy Protected by Chetans WP-Copyprotect.